もういいんでないか

諦めたり進んだり振り向いたりする雑記

担降りはむずかしい〜人の形した光編〜


最近ジャニオタ界隈で「担降り」「担降り」って、みんながワッショイしてる。
その勢いはコイケヤのドンタコスCMを彷彿させるレベルで、もう「担降りったら担降り」「担降りったら担降り」ってあの絶妙なステップで前進してるのよね、確実に。
でもそれがわたしには唐突な出来事すぎて
なんだー、っつって。
なんの騒ぎだー、っつって。
窓開けて見てみたんだけどコトの発端がいまいちわからんかったので、とりあえず「出会いと別れの季節なんだな」と思うことにしたわけです。


三寒四温という言葉も出たなか、今日はあったかくなるらしいね。元気ですか?
さむくね?これ本当にあったかくなるのかな。

でももうすぐ4月なんだね…



そう思うと不意に思い出すことがあって、2009年4月15日、関ジャニ∞は3rdアルバム『PUZZLE』を発売したのであった!


唐突な本題突入



これからツイッターのフォロワーさんに「担降りブログが流行ってるからわたしも書いてみよ(したことないくせに)」とヌルい気持ちで言ったことを実現するために思い出を書きます。



2007年頃。わたしは斉藤和義がだいすきだった。

学生時代、知ってる邦楽はスピッツ、PUFFYにゆず。毎日ハイハイパフィあみゆみショーだ。
腹の中にいるうちからABBAにThe Beatlesという洋楽英才教育を受け、中学生になるまでミュージックステーションて、うたばんてなんやねんと言っていたわたしに、邦楽の良さを教えてくれたのは当時話題も話題、カラオケのテッパンよ!な人たちだった。
L'Arc-en-Cielも聴いたし、モー娘。も聴いた。クラスメートとカラオケに行くと日本の未来はウォウウォウウォウウォウしていた。
恋をしようじゃないかと歌っておいてモテなかった。こと恋愛に関してはろくなことがなかった。
時が経てばみんな色んな音楽を好きになって、それまでお家で親と聴いていた曲ではなくお小遣いで買ったCDや、部屋で聴いていたラジオから情報を取り入れて、やれわたしはaikoみたいになる!やれ宇多田ヒカルみたいになる!大塚愛ちゃんみたいになる!BoAになる!

なれるもんならなってみろバカ!
そうして女子たちは散らばっていった。

わたしは間も無く斉藤和義を好きになった。

ただ永遠とつけられていたスカパーのチャンネルが、洋楽TOP50もやれば、邦楽TOP100などもやっており
わたしはラジオのようにつけっぱなしにして、クーラーつけたあかんで扇風機にしてね!あずきバー冷蔵庫にあるから。って共働きの両親もバイトやら大学やらで忙しい姉たちもいない家で、一家に一台のテレビを見ていた。

かったいあずきバーをガシガシ食べて、あっつい部屋。半袖半パン。
たいして新しくもないマンションの6階。お昼ご飯は鍋で作るインスタントラーメン。
暗黙の了解かなんかかよってくらい家で聴く事のなかった邦楽。親に秘密で見る邦楽TOP100という謎の背徳感。(邦楽にとても失礼である)



家族がいたら絶対に見ることのなかった邦楽MV
TOP100に斉藤和義はいた。


かっこよかった。みなまで言うなレベルでかっこよかった。もはや「か」と言ったら斉藤和義だった。

それから少しして「やぁ 無情」が流行った。

その頃のわたしはそれなりの余裕でCDを買うお金を持っていた。
気づけば過去に発売されていたアルバムを手にしていた。好きな曲が増えていく感覚と、親にも教えていない自分の趣味が盛り上がっていく楽しさは、平凡なわたしを十分にたのしくさせた。


それからまた少しして斉藤和義は楽曲提供を行った。
それが『パズル』。

斉藤和義という日本一かっこいいと思うにふさわしかったおっさ…おにいさん(くるしい)を、当時から隠しきれていなかったおじ専アンテナで日々愛し、「ヒゲを生やして〜」「別に髪型なんかなんだっていいから黒髪で〜」と理想の男性像を着々と作り上げていたわたしの生活に、突然やってきたアイドル!!ジャニーズ!!関ジャニ∞!!!






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4月、出会いと別れの季節。
楽しかった、修学旅行。
京都のお土産屋で先生が何気なく放った、「八つ橋なあ、あんま好きじゃないのよな」。



(話に戻る)



はじめまして、関ジャニ∞




アルバムが発売されることはわりかし早めから発表されていて、わたしが知ったのは4月上旬だった。

それからなんともいえぬドキドキ週間を過ごし、4月16日の夜、はじめてレコメンを聴いた。パズル、かかるかなって。

12時からの全国ゾーンでは短いながらも斉藤和義の楽曲提供について語られていたのだが、
はじめて聴くレコメン、はじめて聴く関ジャニ∞のトークとだけあって、てんやわんや。耳で渋滞がおきる。
そんな、右から左、左から右へと卓球のようにカコンカコンと軽快に進むトークは声の聞き分けもままならないわたしにはついていけず
「錦戸亮くんが斉藤和義のことだいすきなんだ!丸山くんと大倉くんが、一緒にご飯食べたんだ!」ということと、横山さんが413manに込めた思いを最後に聴いて知った。

PUZZLEや413manに限らず、やはりこれはアルバムを買ってみようと、あざできるくらい大きく膝を手で叩いて、話はそれからだと、思わざるを得ないレコメンだった。

そのときのレコメンは丸山くんと大倉くんがゲストに来ていて、他のメンバーに色々電話をしていく…という内容だったらしく(あとから確認してどうにかこうにか録音やレポートしたものを探したのも良い思い出。アイドルには幅広い世代の需要がある、これってすごいなと思っていました。検索したら情報がたんまりある。色んなオタクが色んなサイトでブログを書いてる)。
その日のわたしはたまたま錦戸くんとの電話を聴けていた、のである。



そうして手に取ったアルバム、『PUZZLE』。
それまで、関ジャニ∞といえばなにやらドラゴンが舞い降りたりドラゴンが踊りだしたりしてた人達という印象が私の中では強く、またそのMVもスカパーの音楽ヒットチャートにて何度か見ており鮮明に覚えていた。

賑やかで、関西弁で、その当時よく話題になっていたKAT-TUNのような研ぎ澄まされたクールさとはまた別の、どっからどう見ても親近感わくお兄ちゃん達でしょう?感。


そう、そういえば。思い出した。

CDを買うとき、普段輸入盤1択で洋楽CDを買っていたものだから邦楽って難しい!と嘆いていた。

「なになに初回限定版?通常盤?は?え?アルバムってこんなにお金すんの?え??」

こうやって学んでいくんだと、CDショップの店員さんにあれこれ聞いた思い出。

「この商品はどういう意図ですか?」なんて、今思えば店員さんからしたら「知らんがな」だ。

とりあえずスペシャルな感じという印象のDVD付きを購入していたのだが、そのときのわたしを褒めてあげたい。ボンビーのくせに鼻がきく!


でもその時の初回限定版て、とにかくいかつかった。
いかついってーか、ゴツい。
デカい。

「え?ジャニーズって、ダンボールなん?」
洋楽カルチャーから(間にJ-POPあり)ジャニーズカルチャーって、ギャップがありすぎた。
今はなんとなく買い分けなるものがしっかりとした判断のもとできているのだが、とにかく少し見る棚を変えるだけでジャニーズゾーンだけはビビるものがあるのだった。


そんなこんなあり、手に入れた初回限定版だったのだが

これがまあ〜〜〜



開けない。



手に入れた途端満足感に満たされて、ボンビーのくせにその先をなかなか進まない。
しばいてほしい。
お前金払ったんだろっつって。
募金してきたんじゃないだろって。
それくらい開けなかった。
別に、開けても人食いバコじゃないのに。
開けろよ。てーか、開けろよ。

それくらい間が空いて「そういや、わたし関ジャニ∞のアルバム買ったわ」くらいののんびりさで開封。バーカ!
ゴールデンウィークの連休中だった。


わたしが、斉藤和義から安田章大に「担降り」いや、「進路変更」を行ったのはその日だ。
(進路変更の合図は3秒前!majiでkoiするのは5秒前!惜しい!)

人生初めてのジャニーズDVD鑑賞。
おまえ初めてAV見る男子中学生かよ!!!
くらいの厳重な警戒態勢を保ち、つけたDVD。
洋楽家庭からしたらまず邦楽が家に流れることが禁忌扱い。タブー。
邦楽TOP100だってソワソワと眺めていたのに、今度はDVD。
ジャニーズアイドルの、DVD。
おまえ、あんなに!バックストリートボーイズ好きだったくせに!(※今も好きだよ)



そのDVDで安田くんはギターで作曲していた。(あ、わたし安田くんのファンです。はじめまして)


kicyuは、まだ私の中で関ジャニ∞ベスト曲枠からはずれていない。

楽曲そのもののレベルがズバ抜けており、その当時からもう5年以上もの時間が流れているが音の劣化がまるでない。
きらめくポップセンスが発揮されており、歌詞も巧妙な「かわいげ」が散りばめられて、メロディー無しでは恥ずかしくもなりそうな言葉の並列。
kicyuのなにがどう素敵かどうか、それだけでひとつ記事が書けるほどにコダワリか、はたまた天才の天然かわからないさまざまなトラップがある。
(しかし、これは色々見れた今だから言えるが同時期にdesireがあるのだから安田章大にとってあの頃は「くどく明快さの欠いたポップ」から「よりキャッチーで飽きのこないポップ」というネクストステージへ、のような印象がある)

とかなんとか言ってたら以前ツイッターで語っていた内容がでてきたので並べました。


「まさかの間接キスなの?で、伸ばしてサビに繋げるその変則的な発想はきっと関ジャニ∞にとってとても大事なところだと思う。
緻密に計算して考えれる作曲者だからできることであって、あれが感覚的ならば神様に恵まれてるんだ…と思う。
(割愛)
間接キスなの?で捕まえた客をこっちだよ〜、とサビへと案内してくれる「君も僕も」はより一層あの曲から受ける「POPぽさ」を引き立てたと思います。
(くどいから割愛)
容赦無く繰り返してもう、絶対逃がさない上に引きずりこんでくるスリル満点の強引さを全面に押し出した高音且つ16分音符の高速には本当にびっくりした。kicyuにはジェットコースターばりの緩急があって、ありとあらゆるものがお互いに引き立てている。」


(我ながらなんかくどいなこいつ…)



メンバーがどんな人でどういうポジションなのか、わかりもしない当時、
おそらく、七人の声がグワッとしている曲よりもkicyuが聴きやすかった。
というのも、もちろんどこかにあるとは思うけれども
これを、ディスコっぽくと言いながらもアコギで作曲した関ジャニ∞の安田章大、をわたしは好きになった。
(メーキングのボサボサな髪もすきだった)



この、当初の行動理由であったはずの『パズル』の失念感!!!!
いっそ潔いほどに馬鹿丸出し!!!


パズルもすきだ。
七人の声がグワッとしてるのが〜と書いたけれど、そういう意味でもパズルは聴きやすくて、歌詞も「あらいざらい話して〜」と語っていただけあり関ジャニ∞を知るにはとてもいい曲だった。
いや、『PUZZLE』というアルバムが初心者教材のように、わかりやすく教えてくれた。ユニットもソロも聴けたのだから。


そうして、わたしは2009年5月。
斉藤和義を知り、そして斉藤和義のおかげで唐突に遭遇した「関ジャニ∞」という7人組に進路変更を行ったのであった。

「担降り」というのはジャニーズカルチャー内にのみ、通じるものだと思う。
この記事を書くことで「なにこのアッサリ」感をぬぐいきれなかったのだが、他と通じさせようという気はない。

他のブログで拝見した恋する乙女のような繊細な感情は進路変更する上でわたしはクソかってほどに全くなく、
まるでそうすることが自然かのように関ジャニ∞を好きになった。
関ジャニ∞を応援しながら斉藤和義も、応援できた(現在進行形)。余裕だ。自転車乗るの苦手だけどこれだけはできる。それくらい余裕だ。

ジャニーズカルチャーには独特の「担当」に対する思いがファン各々にあり、それはひとくちに疑似恋愛とか母性とか、そういう言葉では表現できず、一つの曲を愛でるように思い出だってどんどん積み重なるものなのだから、
そんな「思い出の塊」を手放したり、どうこうしたり、というのは尋常ではない気持ちの整理が要される、それは必然なんだ、と知らない者ながらにおもう。

今回、「担降り記事」が一部界隈かもしれないが広くジャニオタたちの中で流行った(ように見えた)ので、
あのときのわたしはどんなだったか。そんな思いで2009年、好きになった瞬間、をまとめた。
これはおそらく「担降り記事」ではなく「幕開け記事」だ。

タイトルでピンときた人もいるとおもう。

今日もどこかで光ってる 誰の目にも触れない場所で」
誰の目にも触れてないことは絶対にないのだけども、好きなタレントを、歌手を、アーティストを見つけたこと。
これからも大切にしていきたい。
そんな気持ちでMr.Childrenの「箒星」から抜粋しました。

わたしはまだ「担降り」をしたことがない。

おそらく関ジャニ∞でまだまだ手一杯な今グループ内で担降りしないかぎり(安田章大の才能発展をうかうか見逃すわけにはいかないのできっとそれもあり得ない)、もしかしたらずっと分かり得ない「複雑な思い」だ。

けれども、今回いろんな思いがある事をいろんな人の言葉と感覚で語られて歴史が事細かに記されて…、
すこしその経験を「うらやましい」とおもった。