もういいんでないか

諦めたり進んだり振り向いたりする雑記

ホワイトボード


手術によって声が出なくなった祖母のお見舞いに先月末行った。


祖母はちいさなホワイトボードを持って、待っていた。
声が出ないくせにうるさいくらい元気、と家族が笑っていたとおり
祖母との筆談はなんの支障もなく、いつも通りの対話に過ぎなかった。
祖母は会ってそうそう、最近のわたしの生活を事細かに聞いてきた。今どこに住んでいて、どんな仕事をしていて、誰と仲良くしていて、将来になにを考えているのか。


わたしは三姉妹の末っ子だ。
貧乏・共働きな家庭でこの上なく自由に、のびのびと育った。
それでも姉らと比べると小心者だった。今も根本的には変わらないかもしれないが、今よりもうんと他人の顔色を伺って生きてきた。
どうしたら気に入られるかを考えて、小狡いことを毎日おこなっていた。
媚を売って誰よりも嫌われないように過ごすのが夢だった。博愛主義ぶって八方美人、みたいな感じだったろう。
それでも嫌われるときは嫌われた。

甘えたヤツ!と言う人もいたし、生意気と言う人もいたし、人並みに、いつも一定数の人間から嫌われていたと思う。

学生時代、体調を崩して一週間学校を休んだのちによくある、病原菌扱いみたいな集団ハブをうけたときはさすがに疑問しかなかったけど。(今となっては、若かっただけで、それをすることによって得るもの失うもの、それぞれにあったならもう割とどうでもいいことだ)

なんやかんやあって
海外に行って、周りの人全員知らない!と言う環境ではじめて一人暮らしをした。
その時には他人の好意や嫌悪がどうでもよくなっていた。他人の自分へ向ける感情が必ず人生に害をなす、とは思わなくなっていた。
強くなった、というよりかは、物臭に拍車がかかっていたとおもう。

今は東京で暮らしてる。
と祖母に言えば祖母は心配性をこじらせたかのようにのけぞっておどろいて(わたしの実家はとっても田舎)、またホワイトボードにつらつらつらつら心配事を並べた。
不審者には気をつけること、人はちゃんと観察すること、夜遅くに出歩かないこと、あれやこれや。

いやもう社会人だからね?社会人何年目だとおもってるの?と思いつつ、
大丈夫大丈夫〜と笑ってたら祖母はどこかわたしの態度に諦めたようだった。


「強くなったね」
祖母のきれいな字がさらさらっと、そう、ホワイトボードに書かれた時、ムショーに泣きたくなった。祖母にとってただの一言でも、それくらいうれしかった。

祖母に言わせてみれば「声を売って、命を買った」そんな手術だったらしい。
そんなこと簡単に言えたものではない。だからこそサラッと書いた祖母に胸を打たれた。
そんな、強く日々生きる祖母に言葉をかけられ、3週間ほど経った今も、思い出しては悲しくなったり誇らしくなったりを繰り返している。

自分の人生にあと何度こんな複雑な思いを抱くことがあるんだろう。