こちら目に見えないタイプです
目に見えないからこそこわいものって、やっぱりどこかあって。そいつらは、結構不意打ちだ。
世の中には確かめれば済むことと、確かめようがない恐怖がある。
つい先日、「給料はいったウェーイ」という勢いのまま最寄駅にはいっている書店に寄りました。
人がひとり通れる通路が店内に続いてて、どの本棚を見るにしても非常に窮屈で、今まで入ろうとも思わなかったんだけども
その日は本当に「給料はいったウェーイ」なものだから、すいすい泳ぐように人の間というか隙間をぬって小説コーナーを目指したのです。
昔から小説を読むことはわりと好きな方で、いわゆる作家読みをする人間でした。
気づいたら手に取ってるものは女性作家の小説ばかりで、「女性が書く女性が好きだ」という明確な傾向も自分の中にあって。
ジャンルもさまざまでした。
ホラーにサスペンスに恋愛にエッセイ。
ただ、SFと時代小説系は読まないな、という個人的な好みもあり、
それなりに、小説は自分の人生のたのしみにしてたのです。
まあでも人にわざわざ勧めたりするほどの詳しさとかウンチクは無いなって。
でも、多忙を理由に小説から離れた時期があって、日常から一度削られた「文を読む時間」って私の中ではなかなか取り戻せるものではなく、
小説に帰るときが今日だ、と。
それが「給料はいったウェーイ」の勢いなのでした。
2、3年ぶりに本屋をじっくり見ました。
隣に立ったお姉さんのオフショルからすらりと生えてる二の腕がピトッと当たった時には、湿ってんな!って考えたりしながら
ああこの人続編書いてたんだ、とか
新刊出たんだ、とか
色々発見することもあって、
でもなにひとつ手に取ってあらすじを読むこともなかった。
ただ帯を見て、「ふうん」と流す。その繰り返し。
ちょっとだけゾッとした。
自分の中にある「知識欲の薄れ」、のようなもの。
興味で動かなくなったこと。
きっと無意識にお金を弾いたり、どの時間にこれを食い込ませようかなとか計算したり
馬鹿馬鹿しいくらい「どうでもいい」とすら思ってる自分に、ちょっとその日ゾッとしたんでした。
小説を読むことはきらいじゃない。
そう自覚してきたつもりの自分が、知らないうちに変わりつつあって
青春時代は小説で得れたことも多い分、こうしてまた遠ざかってしまった「小説に帰ること」が、「可能性を失う」という恐ろしさを描いて。
ゾッとした。
焦るわけでもなく、無理に手に取るわけでもなく、
あんなに人と人の距離が近い書店でなんだか、
予選敗退!スイッチオン!床するーん!俺ズドーン!みたいな。
不意に足元が真っ暗になって、転げ落ちる感覚。