もういいんでないか

諦めたり進んだり振り向いたりする雑記

「そっちどう?」


なんでもいいから働かせてくれって時期があった。みたいなことを以前書いたのだけども、その同時期にあったイロイロが変な出来事ばかりで、まさに生きるのは辛かったけど、生きたいから職を、金を探していたなとおもう。

自分でも思い返すと「人間ってこういうレベルよね」みたいな納得があるのだ。
よくわからんが、もし1つの転機によって人生で一番ラッキーなことが明日、あさって起きるとしたらば、ちょいと今日死ぬのはもったいないかも的な。なんかもろもろが捨て切れなかった。じゃあ動いてみっか、みたいな。
不信になるにはまだまだ有り余ってそうな、自分の「運」を感じていたのである。たぶんこういうのを、能天気っていわれるんだけども。

そんなわけで先日ふとそのときのイロイロを思い出したもんだから当時出会った友達と、ああ、そんなこともありましたわな、とケラケラ電話をしていた。




わたしの人生、生まれてこのかた超ビンボーで。どれくらいのレベルや、どやどや、とこられると、金持ちの背比べは華やかとしてビンボーの金ない自慢てそんなおもしろくはないので省略する。
とにかく、まわりと比較する余裕はなく、なんというか口にこそみんな出さんかったけど「あ、うちってビンボーなんだろうな」そんな気は小学生からしていた。
その上両親は絶妙な放任主義で、わたしもその放任のもとすくすくと、それはそれは昔からのびのびと自由に育った。
子どものもつ金には限界があるし(我が家にはお小遣いはなく親戚からもらったお年玉を一年間サイフとにらめっこして崩していく制度だった)、自転車は一台しか我が家になくて、それはもう、かろうじて動きまっせなママチャリだったから余裕で足なんて地面に届かず、しぶしぶ歩いて近くの公園にいって、ドングリだか知らん木の実をみつけてはパンツ濡れようが構わん!おなかすいた!ってないきおいで、川のなか座り込んで、じゃぶじゃぶ木の実を洗って食べる田舎っ子だった。


そんな田舎っ子が海外留学決め込んで、ぷいーんと海を渡ったのだけども、わたしのそのときの持ち金って「40万」。
航空券とっとったら10万消えたのでもともとは50あったんよ、と周りに言うと「おまえは部位でいうと頭がすこぶる悪い」みたいなことをやーやー言われたので割愛。

しかし40万もやはり、なめとんのかおまえは。っていろんな人に言われた。
それでもわたし、一回は一人暮らしがしてみたかった。
「そんなもん、国内ですりゃよかろうも」みたいなツッコミもビシバシいただいたが、「は? それじゃわたしいつみんなに金くれ言うかわからんよ 知らんでな え? それでいいか? え?だめだろ?どうせ自分がかわいいんだろ? 」そんなこんな超絶かわいげのない言葉を吐き捨てわたしは飛び立った。


とりあえずわかったのはビンボーは家族から離れて住む国を変えてもビンボーだった。

まず物価が高い。住むところだって月に約6万の家賃を払っていた。それしかなかった。そんなこんなしてたらすぐに金が尽きて、家賃払えないご飯たべれないで、わたしはホテルの前で頭を下げた。
「おねがい、ここで住み込みで働かせて!」


人生なるようになるもので、朝早くからベッドメイキングして、どすっぴんの幽霊みたいなボサボサ頭の女が「チェックアウトの時間でっせ」って、これまたどすっぴんの幽霊みたいなボサボサブロンドヘアの客を起こす。そんな生活が続いた。
ホテルはいわゆるバックパッカーというもので、辛うじて制服はあったけど虫食いでボロボロのポロシャツで、ぶっちゃけどのシーツも、めちゃくちゃに洗っても洗っても加齢臭とかワキガとかするようなオンボロもん。
息も絶え絶えこの宿にたどりつきましたってかんじの超ガリガリガリク…痩せ型の男性は寝ゲロをかましてくれちゃうし、
ベランダなるものはないから看板がある屋根に裸足でよじ登って、布団を干して、
ハエだらけの倉庫でシーツをああだこうだ言いながら畳む。そんな生活。
人生で一番「おまえ、きったないのう!」とまわりに言われた生活だった。悔しくて、このヤロウとは思ってたんだけど、あのとき「周りがなんと言おうと、わたしの人生!」という意見が生まれ、確立しつつあった。

でもどんな土地でどんな環境であれ、住めば都で、最初はベッドにはいっては「かゆい!なんかかゆいんだけど!」と泣き喚いていたが、だんだん免疫なるものが高まるのか「は?ワキガ?しませんけど?? は?虫?いませんけど??」。とにかく身体が丈夫になった。


そんなわたしが暮らす部屋は8人ものスタッフが「シングルベッドだけがお前のプライベートスペースな」、ってな感じの狭い部屋を共有していたのだけども(自分の荷物はベッドの下にしまって、置く場所もないから化粧道具や服などはベッドの半分に。寝返りも打てないスペースで全員がピーンと寝ていた)
全員がドビンボーな女、だったのでそれが当たり前みたいな錯覚を起こしてしまい、色んなことをやった。

コロンビアからきたビンボー美女は、入居して1週間目で朝食がニンジンにかわった。朝、よっこいしょと目覚めてチェックアウトしていく客に合わせ清掃の仕事をはじめるのだが、髪を結わえるか〜と部屋の電気をつけた途端(誰が寝てようと問答無用で生活音もたてるし電気もつける、因みにスタッフの部屋は窓がないのでみんな監獄と呼んでいた)シングルベッドの上で生のニンジンを両手で握りバリボリと音をたてながら食べる美女が目にはいった。

「え、ニンジン?ニンジン食べてんの?」「おいしいわよ、食べる?」いや、食べれない。

その子とチームで働くときは、なんつうか本当に見ていた限りなんにもしない…ただ威厳を保ってるだけのマネージャーがいたんだけども、そのマネージャーがいなくなった途端ゴソゴソとポケットに手を突っ込んで

「え?いまニンジン食べんの?」
「ベッドメイキングってちょっとハードだわ」彼女はニンジンを食べ始める。

たぶん、ウサギかなにかの霊に取り憑かれてるんだと、わたしは処理した。
もちろん生で野菜が食べれるというのはわかるのだけども、美女が唐突にそれをはじめるのが当時の私には驚きを通り越して爆笑のツボだった。
どこぞのマギー審司が「おっきくなっちゃった」と軽々しくひょいと大きな耳をだしてくるのと同じノリで不意にニンジンを出して食べ始めるもんだから。人間って生きれるものだなとおもった。


他にも、朝は語学学校にかよってるフィリピンの見た目おとなしい、なにかの強烈なオタクかなにかか?みたいなタイプの女の子が、日本ではあまり見ないのだがとてつもなく大きい(人間の顔を覆うくらいある)業務用のトイレットペーパーをある日突然持ち帰ってきたことがある。

「え、これどうしたの?」
「今日学校でもらったの」
「え?なんで?」
「さあ?知らない。でもここにペーパーが無いのは大きな問題じゃない?って」



お、おう…。

そうだよね、としか言えなくなり、思い切りマジックで学校名が書いてあるトイレットペーパーを私たち8人は日々ありがたやー……とは言わなかったが一週間くらい使った。
そのとき、久しぶりに「鼻をかむ」をしたのである。それまでどうしてたのかってただ吸うのみで、割とどうにでもなった。



私たちが住まうそのホテルはあまり治安の良い場所になく、ある時は隣の部屋に警察がはいっていって、逮捕〜!なんてこともあった。
なんの罪だか知らないが、割と当たり前のようにそんな光景を目の当たりにする日々だったから、特別誰かが詳しく話すなんてこともなかった。
もちろん女子部屋であるスタッフルームでも「こわいよねー!」「物騒ー!やだー!」なんて悲鳴は上がらず、「今日チップの代わりにビールをもらったの!みんなで飲も!」なんて言い始めて一本のビール瓶を8人で飲むなんて、そこそこかわいいことをしていた。


しかしある日、とあるおじいちゃんが警察に捕まった。

その日の朝は、おじいちゃんの「ベッド変えたいねん」を叶えるべく、別にチェックアウトしないおじいちゃんの目の前でベッドメイキングをして、「オー、器用だね君は。ビューティホー」なんて拍手をおくられ、英語がそこまで上手くないわたしは「なーに言ってんだろこの人。とりあえずお礼しとこ!」的なノリでサンキューサンキューと言っていたんだが、

夜、捕まった。

さすがに、朝はあんなに穏やかに話していたのに…!(あんまり意味はわからなかったけど)褒めてくれたおじいちゃんが…!と私の中で混乱が生まれ、フロント業務を行っていたスタッフに聞いた。なんであの人警察に捕まったの?。
すると回答がこう。


「なんか捜索願が出されてたみたいで。家出してたんだって」


ジジイよ。


とんだやんちゃボーイ(推定70歳)がのんびりと過ごしていたものだと思う。聞けば、同居人の女の子は「わたし、あの人から牛乳をもらったことがあるわ。がんばりなさいって」とか言っていたり…
おじいちゃんにとっては楽しい冒険だったんだろうなと、思いつつ
大切に大切にパトカーで家族のもとへと送られていくおじいちゃんをわたしはフロントから眺めていた。


他にも日々いろんなことがあった。
ある日壁に耳と携帯をぴっとりと当てていたブラジリアンのスタッフに「なにしてるの?」と話しかけたら

「隣のフリーWi-Fiが、ギリ盗めそうなのよ!!!」と必死の形相で言われたり。(ホテルにもWi-Fiはあったがスタッフは有料で1週間500MBまでというポンコツ具合だった)(友達に電話するとすぐネット切れる)

しかもそれは本当にフリーWi-Fiにつながって、しかし微妙な距離があるのか、使うときは壁に寄り添わないとできなかった。


しっかし、こういうものは、話し始めたら止まらないものだね。

とはいえ思い出す程度のものたちで忘れていく記憶でもあるのだけども、
この時の生活を、時間を、過ごしたということだけはわたしは一生忘れないと思う。
言葉がうまく通じない人たちとぎゅうぎゅうに詰められて、日も当たらない部屋で過ごして、
まず「このレベルまでは生きていけるな、自分」という限界を知ったり、ベッドメイキング実技を心得たり…、どれだけ一人で生きていくのが困難か身を以て経験したりして、

いや〜人生ってたのしいな〜ッカーと改めてテキトーにしみじみ。こういう能天気な態度のせいか、時に「人生なめるな!」と怒られたり、「甘く見てない?」と知らない人に言われたり、色々あるにはあるんだが、でも結局他人の人生に誰もがめちゃくちゃに関与して生死を操っている……なんてことも早々ないわけで、もちろん多くの事柄が重なって運良く生かされてはいるのだけども、生きることが他人の迷惑ってことはないから、出来る限り好きに生きたいなと思うのであった。後悔の余地なく。

以前、とある雑誌の星座占いかなんかの類で「人生ギャンブラー」という良いのか悪いのかいまいちわからないビミョーな称号を自分の星座に当てはめられていたのだけども、人生楽しくなる!に自分の時間をかけてるんだから、言ってしまえばそんなもんかとボケボケ。でも普段はそんな壮大なこと考えず、美味いかけうどん食べてーなー、くらいのことしか行動理由としてないのだけども。
「そっちどう?」と送られてきた友達からの手紙にそろそろ返事を書こうかとおもう。