もういいんでないか

諦めたり進んだり振り向いたりする雑記

すべて何かの過程のなかで


桜を見て、長い冬を生き抜いてきたわとグングン、伸びをして思ってしまう春、毎年恒例の解放感。
元気にしてますか。

こっちは、お家でてんとう虫を見つけて、やるかやらぬか、ティッシュペーパー片手にウンウン考えて、
てんとう虫って悪いことしないよねという浅はかなてんとう虫知識でもって、
良いさ、我が家にいれば!と面倒くさがり大発揮の末、招いたのであった。
どうなるどうなる。



最近といえば引越しを終えて数日が経ち、あれよあれよという間に時間が流れて日が過ぎて月を跨ごうとして。

短い時間の中で、ふとしたときに色々考えとります。

あまりの連絡不精のせいか「元気にしてるのか?」からはじまり「生きてる?」や「そっちどうなの?」など。
海外移住計画中のときよりも心配の声をかけてもらって、感激。
なぜに国内のいま!と少しだけ驚きもありつつ、それだけ新たな出会いを築けていたのかなと喜びひとしお。


そんな中でも「何をそんな、オオゴトな!」と読み始めながらも、タイヘン恐れ入ったのは父親からのメールだった。


立て続けに6通。

貧乏アナログ極めたおじさんなわけだから、文字が不自然に途切れつつも、尋常ではない前途を危ぶむ内容が謝罪と共にやってきたのだけども

その内容といえば
元気?と問いかけ、ちゃんと「生活」が成り立っているのか、それから仕事はうまくやれているのか、職場の人間関係では無事に過ごしているのか。


これが、人生の6割を無言で過ごしてきたんじゃないかと思うほど寡黙で穏やかな父親からのメールとは
まったく送信中の顔も気分も想像のつかぬモノだったのである。


そんな父親とわたしの関係性について、
話し始めればさっくり終わるようで、しかしどっか面倒で、けっして複雑ではないけれど「微妙」であることは否めないもので
今まで、お互いがお互いの人生に関する発言は控えてきたのが事実だった。
学生時代も会話は少なく、社会人になってからも仕事について話をしたことがなかった。

「選択権は自分にあるのだから」を暗黙の了解に、わたしは家庭環境について「自由に、のびのびとさせてもらえた」とおもってきた。
自分にとってのベストな環境であって、今後だってそう思って過ごすのだけど。


最後の一通に、「いつでも帰ってきてください。甘いことを言うようですが、頑張りすぎないように」という内容と、「昔から頑張らせてばかりでごめんなさい」があった。

わたしが今まで父親の娘として過ごし、さまざまな選択だって自分の好きなようにして、ときに馬鹿馬鹿しいこともやってきたなかで、はじめて言われた言葉だった。


今までの行いが誰でもない父親に頑張りとして認めてもらっていたこと、本人が私との関係性を気にしていたことについて初めて口にしたこと、結果的に謝らせてしまったこと
あまりに、受け止めきれない怒涛の父親からのメールに最早なんて返せば最善かもわからず、「元気にやってます」とだけ一通。

どうしたものか。
毎日、なんとメールをすればよいものか、考えに考えとります。


なんだって好きで自分のためにやってきたから、大丈夫。と声を大にして、いつか伝えられるのか。
父親に対して「誤った選択をした人」なんておもったことがなく、わたしの人生にどんな影響があろうとも恨んだことだってない人に、まさか謝らせてしまう日がくるとは。



ワアワアと胸の中で何かが騒ぎ始めて、溢れ出しそうな溢れ出してしまいたいようなとどめておきたいような、止まらない毎日。
もう少しだけ待ってて、父。と思いながらモロモロ踏ん張りどきなんだなとハッとするのはいつもこうなってからで、
きっとまだまだ、まだまだやれる。何かの過程にて。