もういいんでないか

諦めたり進んだり振り向いたりする雑記

被写体の関ジャニ∞・大倉くん

ファンがなにかを語る上では、欲目という言葉から逃げられない。
なにを言ったとしても、話したとしても「ファンだから」という物事への偏りがにじみ出てしまう。
そういうものは
「ファン」という先入観が読み手に与えてしまう「偏見」なのか
それとも「事実」、否が応でもファンのアウトプット行為には欲目という味付けがされてしまっているのか。


何度か、編集という仕事に関わることで「関ジャニ∞を取材できたら、特集がくめたら」などと末端・無力の人間ながら
あからさまにキラキラした夢を味気ないデスクに広げた。
ああしたいこうしたいこんなテーマでこんな取材でこんな撮影をして、いやいっそ文なんて200字程度に収めてしまって写真をできるだけ多く…

妄想は止まらない。
この目で見たい関ジャニ∞がたくさんある。
もちろん、自分にはその他の趣味があるのでやってみたい特集、書いてみたい記事、撮ってもらいたいモデルなどなど、いっぱいあるのだが。(そして九割は叶わない現実である)

もし権力のある編集者になれたらなにしますか?と聞かれたら、今は関ジャニ∞でなにかしたいっす!と言うかもしれない。
ファンはいつでも強欲だ。



今日、過去の雑誌と最近の雑誌を見比べていた。
被写体としての関ジャニ∞をだ。
本当にたくさんたくさんカメラの前に立ち、さまざまな表情を見せ、色々な服を着ている。当たり前のことかもしれないが改めて書きたいほど「歴史がある」。
撮影テーマもその時々で濃いものもあればほぼほぼフリースタイルといった投げやりな企画もあり、
「アイドル(ブランド)」にプレッシャーをかけている雑誌だってあった。

そんな中でずば抜けて目を引く人がいた。
大倉さんだ。
彼は「いつもユーモアがあってキャラが立っていてテレビでもお馴染みの関ジャニ∞の◯◯くん」という表情をしない。
いわゆるパブリックイメージを脱ぎ捨てたスタイルがあり、写真に対してのみの独特な雰囲気がある。
個人的な感覚とも言えど、「撮りたくなる」。
そんな雰囲気だ。

わたしは、カメラマンでもなければ、編集者としてもまだまだペーペーだ。それは現実であり肩書きとしては説得力なんて何一つ持ち合わせていないだろう。
しかしこの個人的な感覚と大倉忠義から溢れでている、並々ならぬ「モデルオーラ」をたった今思い立って!という勢いで書き記しておきたかった。


世の中、出る杭は打たれる。
おそらく行為的には大倉さんという杭を勝手に出しているのかもしれないが…(きっと、大倉さん以外はどうなんだ?という意見を持たれるかもしれないが、あまりにも使い古された言葉を使うのであれば「その人にはその人の良さがある」のであり、これはあくまでも被写体として見てみる関ジャニ∞、がテーマである)

大倉さんの魅力に迫るような思いで
今度は大倉さんにフォーカスし、最近のものから過去のものへと、素敵なモデルの軌跡をたどった。

目に留まったのは2007年の雑誌・POTATO。
7人それぞれソロショットがあり、服装は季節感のないエスニック系。
全員がアイドルとしてうつっていた。
あったとしても大きな笑みはなく、微笑み程度。目に力をいれて、凛々しい丸山くんあり、柔和な表情を浮かべる村上くんあり。
そんなファンからしたらたまらない「普段とは違う装いの関ジャニ∞」。
しかし、どうも服装が浮いた。似合わないという違和感が先行している。
着慣れていない、きっとおそらくこのような服装はあまりプライベートではしませんよね?という印象が際立つ。
そんななかでも、アイドル誌ではなく、ファッション誌のように「衣装」を纏い一人だけどこか違う雰囲気を漂わせる男性がいた。
それが大倉さんだった。
おそらくまだ22歳の頃の、髪の長い大倉さん。
白背景に馴染む脱色した髪、毛先は軽やかに跳ねながらもどこか「アンニュイ」でもあるスタイル、眉間にすこしだけしわを寄せて強い目ヂカラを魅せつつ、リラックスしたようにわずかに開いている口元。
何故か惹かれた。
「アイドル」よりも「モデル」らしく、程よく着せられた「マネキン」のような衣装の馴染み。

写真として見る大倉さんはパレットのような印象をうけた。
パレットにどんどんああしたいこうしたい、というスタイリストやカメラマンの欲望が加わりながらも柔軟に色が混ざり、発色良くカメラにうつっている、そんな印象だ。
他のメンバーはどうかと言うと、もともとに備わっているキャラクターのが勝り、パレットというよりも、彼ら自身が絵の具のようだった。化学反応が楽しめれるような、これもまた素敵な被写体。(もともとのキャラクターによって服装自体にある印象が変わる、というポジティブなマジックがおこりやすい感じだ)。
どちらも好きでどちらも見ていて楽しい。それは変わらない。改めて全員顔立ちが整っている。
すごい、…すごい。唾を大きく飲み込みながら頷く。これは欲目です、とは言わない、自ら言うわけがない。


しかし、
大倉さんのその「モデルオーラ」とはなんだ。

その恵まれたスタイルの良さか。
キリッとしながらも好青年さを失わない程よく「純朴」な顔立ちか。
眠たげで涼やかな目元か。
厚く弾力と色気のある唇か。

あれやこれやと考えるも、しっくりとはこない。
天性ではないか?というあやふやなものに頼りそうになる。
確かな才能ながらも言い当てることができない。ふわふわとしていて的を射ることもできない、掴めない大倉さんの漂わせるオーラ。

バラエティーなど、テレビで見る彼はわかりやすいキャラクターのイメージがある。
けらけらと笑っていて、すこし毒舌で、誠実そうな立ち振る舞いをしながらも、悪戯な笑顔も憎めないネ。そんなイメージ。
写真となると、すべてが通用しなくなる。
撮影テーマに沿った表情を魅せて
これはすこしやらしくてダメな見方かもしれないが、編集者も書きやすそうな、本人による魅せ方のまとまり、がある。シンプル且つ、想像を膨らませてくれる。

思えば、彼が行う俳優業はキャラクターがさまざまだ。全員がそうとも言えたが、ずば抜けて濃ゆいものもやっている。
やはり、大倉さんは「パレット」のようだ。
クリエイターにとって彼はとても大きくて自由に扱うことができる、そしてそれを受け止めてくれるパレットで、ついつい色付けたくなる。

そんな、 対芸術における大倉忠義の「素直さ」を感じた。


今は全員でのメンズノンノの連載があり、渋谷さんは映画の公開に向けて各誌に取り上げられ、ますますそれぞれが被写体としてメキメキと成長し、魅せ(興奮させ)その世界へと引きずり込んでくれそうな、関ジャニ∞。
大倉さん以外にも注目して、その「芸術」の味わい深さを咀嚼していきたい。

今度は大倉さんのような「パレット」ではなく、絵の具の化学反応について書けたら…。






素敵だなあ!芸能って、たのしいなあ!

(出る杭は出過ぎたら芸術)