もういいんでないか

諦めたり進んだり振り向いたりする雑記

また何度でも


女は強い。


わたしが女である限り、この発言は男女差別的なにおいを含んでしまうのかもしれないけれど、

シンプルに、同じ女なのに…、
そう思ったことが最近あった。まるで自分の性別なんてスコーンと忘れていた。

正しくは、「母親は強い」かもしれん。



先月、4連休をいただいたため実家に帰ったのだが(@前回書いたものと同日のこと)

父親が家の近くのバス停まで迎えに来て
おかえり〜と言った。




うちの父親と母親は立場がコローンと逆転しており、父親は比較的昔から「理想の母親」みたいな人だった。
もともと女顔で、華奢で、美容師の若気の至りだったのかなんなのか髪も茶髪で、長くて、

小さい頃、幼稚園に迎えに来る時は
「ママきたよー!」と言う先生に従って外に出たら、

お父さんやないかーーーーーい!
なんてことがよくあった。
頻繁にあった。毎年、変わるたびに先生が間違えていた。

なんというのか、外見のみならず「三歩下がって歩きますね…」的しおらしい雰囲気もあり、ほんとうによく母親に間違えられたものである。



一方母親は男勝りを地でいくタイプで、ガッサガサ働き、家にいても寝てることが多かったので、小学生の頃は宿題を終えてから母親の職場まで歩いて迎えにいく、が日課だった。


さらに、子供ながらに女は弱く男は強い生き物だという、なんらかの固定概念てあって
母親だけは、結局子どものお遊びに過ぎないクオリティなのだけど、労っていた。

男である父はその倍の時間を働いていた、という大変さを数年後に知るんだけどね…
子供の頃て何故か母親派・父親派の派閥そして言動、があまりに極端だったようにおもう。




そんな、こんな


母親は実家へと帰ってきたわたしに特別リアクションがなく、というか一日ちょっと遊んできたんでしょうくらいの佇まいで
父親がせっせと「おなかすいた?さっきお寿司買ってきたよ、食べる?あ、さしちょこいるね」となにやらワサワサとテーブルにあれやこれやを出し、食べ、その日は紙芝居をめくるような簡単さでおわった。

わたしがお土産で買ってきた真鯵だけは三人でうまいうまいと絶賛しペロリンと食べた。




母親は厳しい。母親はたくましい。
反面、陽気で堅実でジョークが好きで豪快だ。

友達のような距離感のようで父親よりも威厳があって、いつも大事なことを忘れてしまう。

どこの家庭にでもあるような平凡な変化ではあるが、年をとるにつれて言葉をかわすことが極端に減った。
いってらっしゃいはおろか、仕事を辞めようと思う、転職しようとおもう、実家を出ようと思う、海外に行こうと思う、引っ越そうとおもう。すべてタイミングを逃し言い忘れて、事後報告だった。

母親はいつも「ふうん、そっかあ」ってな調子で、特別心配してる素振りも見せず、いつもきまって「やりたいことやっときなー」だった。



母親の育ちは昔から長女らしくを強いられたものだったらしい。
家庭環境は共働きと、
わたしの育ちと変わりないものであったが、
勉強し、仕事し、家事をこなし、弟と妹の面倒を見て、それからそれから、とやってるうちに自分ははやくから結婚までし、子供を三人産み、すぐにまた働きに出…

自分にかけた時間があまりに少ない。
そんな自覚と後悔がつよくあったそうだ。


わたしはそんな母親の後悔からか、随分と自由に育てられた。



そんな母親が、一泊した実家を出て、わたしがいってきますと告げると
「たまには連絡してね」と言った。
これはまた珍しいことを!と驚いて、すこし胸がきりきりと絞られるような思いだった。


ほんのすこし、ほんの一言、ちょっとした呟き。
なのにジワジワ広がっては、唐突に押し寄せてくる切なさに電車でホロリしそうになりながら、帰省を終えた。



その時からコトははじまっていたのかもしれない。

祖母がガンになったという。

先日、これまた年に一回あるかないかのレベルで珍しく姉から連絡があり、「おばあちゃんが明日、手術です」と言った。

あまりに突然だったそれを受け取ったのは外出先で、わたしはお茶を飲みながらのんびりとしていた。

メールを確認した途端、目が点だ。
かなり遅れたエイプリルフールかも、とすらおもった。もっともそんな冗談を話すような姉ではないのだが、それくらい、祖母は元気すぎる人だった。

しかし、立て続けに送られてくるメールには「ガンだったこと」「お母さんがそれをわざとあなたに話してないこと」が報告され、
病状的におばあちゃんの声が聞けるのは今後はなく、今日限りだと、迫られた。


怒涛のごとく教えられていく物事にわたしはもう考えることを放棄して、しばらくボーッとしていた。
なにが、なんだか、さっぱり。
今思えばその時間、関係ないことまで考えていたとおもう。


それから数分がたって、ようやく自分がどういう状況かを理解して、これは、もしかして、動かねば後悔するのでは、とおもった。
しかしすぐ動くのは現実的に無理だった。
本当は病院に駆けつけたいのに、遠すぎて時間がなかった。本当は電話をかけたいのに、祖母の電話番号を知らなかった。話せるのかもわからなかった。

それでも、姉から連絡がきたんだからと、もしかしたらお見舞いに行っている母親に通じるかもしれない。そんな思いで母親の連絡先をアドレス帳からだした。

ただひたすら携帯をいじってるだけの数秒で、涙がボロンボロンでた。
悲しい、怖い、そんな感情とはまた別の、処理しきれないものが溢れ出てしまって止まらなかったんだとおもう。
冷静さに欠けて、電話が通じてもまともに話せれたものではなかった。

じゃあ、じゃあと、一呼吸。
とりあえず、一旦泣き止もう、話はそれからだ、と携帯を置くと
今度は母親からメールがきた。

「心配すると思ったので、言えませんでした。おばあちゃんは、元気です」

母親は元気なのか。

もしかしたらお見舞いと仕事を両立させようと、バタバタ動き回っていたかもしれない
そもそも、いつからだ


ついには「無理して電話しなくても大丈夫。いつでもおばあちゃんとは筆談で話せれます」とまでメールがきた。

その日、結局一度もこちらから返信ができなかった。


心境が落ち着いたのはその3日後で、祖母の入院先と、だいたいの今後の予定を聞いて、すぐにまた帰省しますと連絡した。


母親は強い。
その所以はすべてが謎だ。



祖母は「手術してこんな元気な人もなかなかいない」と医者に言われるほど元気らしい。
母親の母親もまた強し。


人生のほとんどが「予期せぬこと」の繰り返しだとは思う。
頭ではそのことがじゅうぶんにわかっていても、実際に動くことの困難さは、計り知れないものだ。
しみじみおもった。身を以て、感じた。




祖母は書道について明るい。
綺麗な字を書く。小さな頃からその筆が憧れで、祖母にはよく習字に付き合わせていた。
これからは祖母との筆談を存分に味わおうとおもう。
とても、たのしみなこと。
まるで子どもの頃に戻るみたいね。