もういいんでないか

諦めたり進んだり振り向いたりする雑記

ニューフレンド・スリー


ファンデーションほしい!というタイミングがお友達とたまたまかぶり、
ふたりで向かうわ、待っとれ新宿・伊勢丹。
そんな土曜日のお盆。
激混み戦場という人と人の隙間をちょいちょいとぬって、行ってきました。


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そんなこんななんやかんやあり、
「THREE」で下地とBB揃えましたぞ。と何気なくツイッターでつぶやいたところ「求ム感想」という声をいくつかいただいたので
こちらにてちょっと、雑感を。

とはいえ、
「これ揃えたらお姉さん彼氏できるヨー」「この商品もう神ネ〜」って言われたら買う。と言うほど化粧品に詳しくなく、己の領分じゃねえと手を抜いてきた女子分野でもあるので、専門的な語彙もございません。
ぼんやりとした「こんなかんじ」というものになるので、お先にお詫びを。ただ全部俺に身に降りかかった事実だ。




とにかくお店ではストレスフリーを最初から推されました。
使い心地が本当に良い、という説明があり、ふむふむナルホド。とおとなしく聞いていたものの内心「使い心地なんて気にしたことねえや、へへへ、塗ればみな同じよ、へへへ」

薄ら笑いである。
こういうときどんな顔したらいいかわからないの。(笑えばいいと思うよ)(すでに笑っている)


そうして、お試しをやっていただいたのですが、その間もお姉さんの説明が頭に入らず、相槌を打ちながら「お姉さんの手がひんやりしていて気持ちいい」くらいの感想しか持っていませんでした。

とにかく肌に優しく、自然な瑞々しさ、艶感、そしてストレスフリー!
というのだけは説明書を読みながら聞いていたので覚えています。


そして勢いよく「今日は金ならあるんだ」と言わんばかりのズババーン購入にて、チャリンチャリン。金は羽ばたいていった。
さよなら、また今度。

ちなみに買ったもの
3,800円の下地「グロー」と
5,000円のリキッドファンデーション
です。

下地「グロー」は瑞々しさ重視っぽく。クリアな肌になりたい方向け。なのだそう。クリアな肌ていまいちわからんけども響きは良い。
もう一つの下地である「トランスルーセント」とやらは、肌の凹凸を整えたなめらかな肌を目指す方に売っているのだそう。ここらへんはお店にて詳しく違いを聞いて理想をぶちまければよいかな、とおもいます。へへへ、よくわからんのです、へへへ。わたしはお姉さんにすべてを任せてきました。

リキッドファンデーションの方は長時間カバーを実感!肌に溶け込むようなフィット感!植物オイル配合のスキンケア効果もメイクしながら感じられる!どどん!
とな。


ざっくり言うと、使用1日目!
とってもよかったです。
実感、実感〜!の嵐でござんした。

まず朝9時にて化粧。
いつものサボり癖で洗顔もただの水洗いで、化粧水もなく、ベッシャーとニベアの日焼け止めウォータージェルを塗ったくって。
ここまで本当にいつも通り。
メイクはクオリティじゃない!!スピードだ!!を常に自分の試練として
出勤前はいかにゆっくり朝食を食べるかに重きを置いてます。


そして出てきます。ニベアのウォータージェルの上に下地「グロー」!
ちなみに前回まではプリマビスタの下地を使っておりました。テカリ肌にいいよーって。某コスメ口コミサイトに書かれていたから、はいよーって。
しかしプリマビスタでファンデーションを揃えてなかったので、恐らくメイクのクオリティの持続性が全くなかったのだなあと今になって実感、そして後悔。

まあそれは、置いといて。

「伸びがいいので、半プッシュくらいで大丈夫です」と言われていたグローを手のひらで伸ばして(はやく筆を買えと叱って)

登場!リキッドファンデーション!

こちらも「半プッシュくらいで以下略」だったので、お姉さんの言う通りよく振ってから半プッシュ手に出して、伸ばしました(いつも手で塗ってるんですと言ったらお姉さんは絶句されていましたゴメンナサイ筆買う)

この時点でだいぶ肌が瑞々しい。瑞々しいってこういうことか!と言わんばかり、まるでお風呂上がりに化粧水から保湿液まで塗ったくったかのような潤い。
本当。これまじ。

しかも驚くことなかれ、ストレスフリー、なのでした。

「はぁー?使い心地ィ?肌に塗ったら全部一緒でしょー」と思っていたわたしに「残念今までのはストレスでした」と、知らしめたのです。

まるで化粧をしている負担はなく、どちらかと言えばニベアのウォータージェルを塗ったときの重さ(それでもあの日焼けはかなり軽くてそこが好きなのだ)が残っているだけ。

しかも艶感もあり、それが嫌なテカリとは違う、自然体かつなめらか。触り心地も、産毛剃ってパックもして化粧水つけました!みたいなつるんとした感触で、しっとり。


しかし朝9時のわたしはそんなに優しくない。


「っはん、これが何時まで持つのやら」



説明しよう。
わたしの出勤ルートは、朝20分ほど駅まで歩いて、15分の電車、のちに5分ほど最寄り駅から会社まで歩く。
こんなコースなので、20分駅まで歩いた時点でいつもは顔面ドロドロである。
顔に汗をかくノット女優肌なので、ハンカチ片手に電車を待つなんて日常茶飯事で
むしろ会社に着いてから化粧すれば??レベルで台無しにしがち。
それでも電車の中は涼しいので、ある程度汗がひけば、あとはお昼休憩のときに直せばいいかなーってな体たらく。

さて、今日の出勤はというと。

すこし風があったとはいえ、汗をしっとりかきつつも、化粧、くずれ、なし!
会社の入り口に鏡がドーンとあるのですが、いつもそこでチェックしています。崩れ具合。あー汗は引いたけどテカったなー。みたいな。
今日はそんなこともなく、まるで今化粧しました!と言わんばかりの出来。
なにこれ?今までのはなんだったの?レベルでございます。(下地とリキッドファンデーションは揃えて買おうな)(前回のリキッドファンデはクリニークでございました。こちらももちろんちゃんとしていた。カバー力と伸び共に良好で大好きでした。クリニークはまたリッチウーマンになったときスキンケアから揃えたいくらいお店の雰囲気から好みです)


そして必ず化粧直しをしているお昼休憩にも必要のなさを感じ、そそくさとお手洗いから退散。
テカってない!ドライコンビネーションと言われ「頰は乾燥、T字ゾーンはテカテカ」な絶望的肌質を優しく包み込んで守ってくれている、スリー!なんてやつなんだ、スリー!

もうこの時点で拍手喝采。スリーとはマブダチ。
明日もあさっても気持ちいい化粧が待ってるんだなとおもうと、あの時羽ばたいていったお金なんてこの手に帰って来たと言っても過言ではなく

さすがに仕事を終えて帰るころ(夜10時)にはT字ゾーンとくに鼻筋がテカっておりましたが、化粧が崩れる、ということはなかったです。チークもアイシャドウもほぼ、朝のまんま。七割型。


でも大満足。
かなり満足。
じわじわと「ええもん買ったわ」と実感そしてしあわせでした。

このハッピー心地のまま彼氏がどこからか振ってくれば問題はないのである。

以上、ご報告までに。

人の世にたのしみ多し 然れども酒なしにしてなにのたのしみ



お酒を飲むってすげいもんだな。とおもう。文化として確立されている行為というか。

それこそ、海外移住中は「酒以外娯楽のない国です」と言われてるだけあって、本当に山と海と酒しかなかった。まあなんかあるよね、ってレベルでカジノもあったけど。
本当に酒をとったら何も残らないような国で、街で、毎日毎日飽きもせず飲んで過ごしていた。
そのせいか酒以外に娯楽があって…、という日本に帰国した時本当にこの国はすごいとおもった。それが良い意味なのか悪い意味なのかは正直個人と国との相性次第ではあると、おもうのだけど。

そんな日本でも、おっさんたちが「飲みニケーションだ!」とか「最近の若いもんは飲み会に参加しない…」とか言うだけあって、遺伝子レベルで「酒を飲むこと」が人との繋がりに名をつけるような、文化として確立されている。
酒を飲むことが完全なる善とはされない世の中で、こんなに愛され、コミュニケーションのひとつとされている酒って。すげえなあ。ってまあ、ときどき、しみじみ、思うわけだよね。

酒の力を借りるって素晴らしいとおもう。
ちょっとお近づきになりたいあの人この人、ちょっと本音を話したいあの時この時。
アルコールという目に見えない猫に、手を借りるようにすがりついて、もう離れないぞくらいの勢いで、酔っ払う。

「酒を飲むと本音が出ちゃう」
「酒を飲むと理性が薄まる」
「酒を飲むとフラットになる」
そんな先人たちの数々の失敗談を背に、進むわけだ。なんてことない、飲み街を。無敵になった気持ちで。
たかが知れてるって毎回思う。飲み会って誘われるとめんどうくせえなあって最初は思ってしまう。
しかし、なんでこうも、一緒に飲んだ人を、たかだかの数時間を、愛しいと思うのか。



常々疑問に思う。なんなら思ったまま飲んでる。
そして、楽しくなっちゃって、なんか否定できないほどのものを抱え込んで、自分ごと正当化して、気持ちいい夜に変えてしまう。


「酔っ払いだから」って誰かが言った。
「そうか酔っ払いだからか」って誰かが言った。
この上ない平和具合。


特別お酒はひとりで飲むほど好きではないけれど、大切にしたいと思う。こういう実感と時間を。



タイトルは若山牧水の句より。
これしかないとばかりに若山牧水。

こちら目に見えないタイプです



目に見えないからこそこわいものって、やっぱりどこかあって。そいつらは、結構不意打ちだ。

世の中には確かめれば済むことと、確かめようがない恐怖がある。


つい先日、「給料はいったウェーイ」という勢いのまま最寄駅にはいっている書店に寄りました。

人がひとり通れる通路が店内に続いてて、どの本棚を見るにしても非常に窮屈で、今まで入ろうとも思わなかったんだけども
その日は本当に「給料はいったウェーイ」なものだから、すいすい泳ぐように人の間というか隙間をぬって小説コーナーを目指したのです。


昔から小説を読むことはわりと好きな方で、いわゆる作家読みをする人間でした。
気づいたら手に取ってるものは女性作家の小説ばかりで、「女性が書く女性が好きだ」という明確な傾向も自分の中にあって。
ジャンルもさまざまでした。
ホラーにサスペンスに恋愛にエッセイ。
ただ、SFと時代小説系は読まないな、という個人的な好みもあり、
それなりに、小説は自分の人生のたのしみにしてたのです。
まあでも人にわざわざ勧めたりするほどの詳しさとかウンチクは無いなって。


でも、多忙を理由に小説から離れた時期があって、日常から一度削られた「文を読む時間」って私の中ではなかなか取り戻せるものではなく、
小説に帰るときが今日だ、と。
それが「給料はいったウェーイ」の勢いなのでした。

2、3年ぶりに本屋をじっくり見ました。

隣に立ったお姉さんのオフショルからすらりと生えてる二の腕がピトッと当たった時には、湿ってんな!って考えたりしながら

ああこの人続編書いてたんだ、とか
新刊出たんだ、とか

色々発見することもあって、

でもなにひとつ手に取ってあらすじを読むこともなかった。
ただ帯を見て、「ふうん」と流す。その繰り返し。


ちょっとだけゾッとした。
自分の中にある「知識欲の薄れ」、のようなもの。
興味で動かなくなったこと。

きっと無意識にお金を弾いたり、どの時間にこれを食い込ませようかなとか計算したり
馬鹿馬鹿しいくらい「どうでもいい」とすら思ってる自分に、ちょっとその日ゾッとしたんでした。


小説を読むことはきらいじゃない。
そう自覚してきたつもりの自分が、知らないうちに変わりつつあって
青春時代は小説で得れたことも多い分、こうしてまた遠ざかってしまった「小説に帰ること」が、「可能性を失う」という恐ろしさを描いて。

ゾッとした。

焦るわけでもなく、無理に手に取るわけでもなく、
あんなに人と人の距離が近い書店でなんだか、
予選敗退!スイッチオン!床するーん!俺ズドーン!みたいな。
不意に足元が真っ暗になって、転げ落ちる感覚。


ホワイトボード


手術によって声が出なくなった祖母のお見舞いに先月末行った。


祖母はちいさなホワイトボードを持って、待っていた。
声が出ないくせにうるさいくらい元気、と家族が笑っていたとおり
祖母との筆談はなんの支障もなく、いつも通りの対話に過ぎなかった。
祖母は会ってそうそう、最近のわたしの生活を事細かに聞いてきた。今どこに住んでいて、どんな仕事をしていて、誰と仲良くしていて、将来になにを考えているのか。


わたしは三姉妹の末っ子だ。
貧乏・共働きな家庭でこの上なく自由に、のびのびと育った。
それでも姉らと比べると小心者だった。今も根本的には変わらないかもしれないが、今よりもうんと他人の顔色を伺って生きてきた。
どうしたら気に入られるかを考えて、小狡いことを毎日おこなっていた。
媚を売って誰よりも嫌われないように過ごすのが夢だった。博愛主義ぶって八方美人、みたいな感じだったろう。
それでも嫌われるときは嫌われた。

甘えたヤツ!と言う人もいたし、生意気と言う人もいたし、人並みに、いつも一定数の人間から嫌われていたと思う。

学生時代、体調を崩して一週間学校を休んだのちによくある、病原菌扱いみたいな集団ハブをうけたときはさすがに疑問しかなかったけど。(今となっては、若かっただけで、それをすることによって得るもの失うもの、それぞれにあったならもう割とどうでもいいことだ)

なんやかんやあって
海外に行って、周りの人全員知らない!と言う環境ではじめて一人暮らしをした。
その時には他人の好意や嫌悪がどうでもよくなっていた。他人の自分へ向ける感情が必ず人生に害をなす、とは思わなくなっていた。
強くなった、というよりかは、物臭に拍車がかかっていたとおもう。

今は東京で暮らしてる。
と祖母に言えば祖母は心配性をこじらせたかのようにのけぞっておどろいて(わたしの実家はとっても田舎)、またホワイトボードにつらつらつらつら心配事を並べた。
不審者には気をつけること、人はちゃんと観察すること、夜遅くに出歩かないこと、あれやこれや。

いやもう社会人だからね?社会人何年目だとおもってるの?と思いつつ、
大丈夫大丈夫〜と笑ってたら祖母はどこかわたしの態度に諦めたようだった。


「強くなったね」
祖母のきれいな字がさらさらっと、そう、ホワイトボードに書かれた時、ムショーに泣きたくなった。祖母にとってただの一言でも、それくらいうれしかった。

祖母に言わせてみれば「声を売って、命を買った」そんな手術だったらしい。
そんなこと簡単に言えたものではない。だからこそサラッと書いた祖母に胸を打たれた。
そんな、強く日々生きる祖母に言葉をかけられ、3週間ほど経った今も、思い出しては悲しくなったり誇らしくなったりを繰り返している。

自分の人生にあと何度こんな複雑な思いを抱くことがあるんだろう。




さよなら愛する人・しないか仲直り

ジェームズの「without you」の発音は、とてもなめらかだ。耳に馴染む。多くの歌手が歌詞にならぶこの言葉をその声でなぞってきただろう。
事実、日本語という母国語があれどこの国でもなんども聞いた言葉である。
しかし、ジェームズの「without you」だけは違う響きのような、なにか高尚なものすらかんじる。ジェームズだけが使える言葉のような、まごう事なき別格。
もともとこの曲はとても大切に、大切に、言葉ひとつひとつがゆっくりと、ジェームズのリズムで、ジェームズのやさしさで、ジェームズの感情のまま吐き出されている印象がつよい。情けない男だと言う人もいるかもしれない。だがわたしは何度も泣きそうになった。
男の失恋ソングと言えども、そっと寄り添うようなあたたかさと人間味のある後悔などの思いが、聴く者の心を満たすのである。これを歌唱力というならば、音楽というのは本当に、ありがたいくらい、ずるいもんだ。

歌詞の中で「君に好かれたことで勝った気になってた」と下手ながら和訳できる部分がある。
ものすごく、人生の色が変わるほどの出会いで、思いで、付き合っていた彼女に、そんな大切なことはさらさら打ち明けることができず、ずっとずっと自分のものだと、注がれる好意は永遠だと確信しては結婚を申し込まず放棄しタイミングを逃し、そうしていざ別れが来たら「君が僕の運命の人だった」と言う。ついには心が空っぽになったとうたう、そんな、歌だ。

この歌へ共感に値する恋愛は残念ながらなのか、幸いなことになのか、自分はしていないが、好意というものは世の中、恋愛に関係ないものでも山ほどある。なんであのときああしていなかったんだと悔やむことは、恋愛以外でも、たくさんあるのだ。


職場の友人が「あなたはわたしの母国にいる親友にそっくりだ」と言う。「もう随分と連絡を取っていない。わたしはいつもFacebookで彼女の近況を知るだけ」そう言う。はじめはそれくらいのものだと思い、「そうなんだ」と返していた。

つい最近、その友人と飲んだ。泣き上戸も相まってか彼女は涙を流しながら「なんでそんなに親友にそっくりなの」と私に訴えた。ドラマのセリフみたいなことを言うなあと、泣き上戸の酔っ払いをいなしながら、わたしもちびちび飲んでいた。
そもそもが酔った勢いで、続く友人の「親友との間にあったこと」をわたしはのんびり聞いた。普段、気丈に働いて笑顔の多い人だったから、聞くだけ聞いてスッキリするならばという気持ちもあった。
彼女が話す内容はありふれたものでありながらも、さみしいものだった。

5年前、親友と些細なことで喧嘩をした。大好きなことに変わりはないのに、まわりの友人に「彼女はおまえのこと嫌いになったって言ってたよ」と言われ、怖くなり、謝るのも、それが本当かどうかも確認できないまま、5年間、うじうじと悩み続けて日本にきてしまった。
後悔に後悔が重なり、なおかつ、職場には親友にそっくりな日本人まで居て、連絡がとりたくなり、でもなかなか5年間の溝を埋めるような勇気も出ず、本当に、本当に、辛い。

彼女は泣きながら何度もなんども「つらい」と言った。単に語彙力の問題かもしれないが、それでも話の内容と彼女の感情に合った言葉であり、不覚にも「わたしにもそんな過去があったかなあ…」と無意味なことを考えてしまった。
その晩は彼女が泣き止んで、突然泣いてごめんねごめんねと言いはじめたあたりでおひらきにした。デリカシーに欠ける微妙なタイミングだったかもしれないが、泣き疲れた勢いで眠るのが良いだろうとおもった。(翌日、二日酔いになったとメールが来たけど…)


わたしにはそのような経験はない。自分は後悔というものに鈍いのかもしれない。後悔に後悔を重ねるほど実直ではないのだろう。
おそらく後悔に疲れたら、言い訳を積みかさねて正当化する、そんな悪賢いひねくれた性格である。彼女のように、シンプルにそして純粋に人を思い、言葉をかけれないことを悔やみ、そして5年も思いを重ねることは、自分にはない。
なにかを言い忘れたような記憶もない。それらを思い出して酒の勢いで泣くこともない。もちろん、後悔のない人生をおくっていると、胸を張れることもない。

Goodbye my loverを聴くと思うことがある。何かを想い悲しむことも、人生の恵みだなと。辛いことは辛いことに変わりはないが、友人の話を聞きながら、おもったことでもある。
それらは、きっと、悪いことではないのだろう。気がいくら病んだって、それは過ぎれば何かにとっての学びであり、後悔であり続ける限り、報われる時もくるのだろう。「報われる」、その幸福が得られるのもまた、涙をのむおもいをしてきた者のみだ。

しあわせでありますように。陳腐だが、心から思う。恋人の意味をこえて「lover」に含まれる人々が、どこかでしあわせであれば、それほどハッピーなこともそうそうない。


もう泣き上戸に絡まれるのも面倒なので、親友とはやいところ仲直りしてほしいのだ。



James blunt/goodbye my lover 

You touched my heart, you touched my soul
You changed my life and all my goals

また何度でも


女は強い。


わたしが女である限り、この発言は男女差別的なにおいを含んでしまうのかもしれないけれど、

シンプルに、同じ女なのに…、
そう思ったことが最近あった。まるで自分の性別なんてスコーンと忘れていた。

正しくは、「母親は強い」かもしれん。



先月、4連休をいただいたため実家に帰ったのだが(@前回書いたものと同日のこと)

父親が家の近くのバス停まで迎えに来て
おかえり〜と言った。




うちの父親と母親は立場がコローンと逆転しており、父親は比較的昔から「理想の母親」みたいな人だった。
もともと女顔で、華奢で、美容師の若気の至りだったのかなんなのか髪も茶髪で、長くて、

小さい頃、幼稚園に迎えに来る時は
「ママきたよー!」と言う先生に従って外に出たら、

お父さんやないかーーーーーい!
なんてことがよくあった。
頻繁にあった。毎年、変わるたびに先生が間違えていた。

なんというのか、外見のみならず「三歩下がって歩きますね…」的しおらしい雰囲気もあり、ほんとうによく母親に間違えられたものである。



一方母親は男勝りを地でいくタイプで、ガッサガサ働き、家にいても寝てることが多かったので、小学生の頃は宿題を終えてから母親の職場まで歩いて迎えにいく、が日課だった。


さらに、子供ながらに女は弱く男は強い生き物だという、なんらかの固定概念てあって
母親だけは、結局子どものお遊びに過ぎないクオリティなのだけど、労っていた。

男である父はその倍の時間を働いていた、という大変さを数年後に知るんだけどね…
子供の頃て何故か母親派・父親派の派閥そして言動、があまりに極端だったようにおもう。




そんな、こんな


母親は実家へと帰ってきたわたしに特別リアクションがなく、というか一日ちょっと遊んできたんでしょうくらいの佇まいで
父親がせっせと「おなかすいた?さっきお寿司買ってきたよ、食べる?あ、さしちょこいるね」となにやらワサワサとテーブルにあれやこれやを出し、食べ、その日は紙芝居をめくるような簡単さでおわった。

わたしがお土産で買ってきた真鯵だけは三人でうまいうまいと絶賛しペロリンと食べた。




母親は厳しい。母親はたくましい。
反面、陽気で堅実でジョークが好きで豪快だ。

友達のような距離感のようで父親よりも威厳があって、いつも大事なことを忘れてしまう。

どこの家庭にでもあるような平凡な変化ではあるが、年をとるにつれて言葉をかわすことが極端に減った。
いってらっしゃいはおろか、仕事を辞めようと思う、転職しようとおもう、実家を出ようと思う、海外に行こうと思う、引っ越そうとおもう。すべてタイミングを逃し言い忘れて、事後報告だった。

母親はいつも「ふうん、そっかあ」ってな調子で、特別心配してる素振りも見せず、いつもきまって「やりたいことやっときなー」だった。



母親の育ちは昔から長女らしくを強いられたものだったらしい。
家庭環境は共働きと、
わたしの育ちと変わりないものであったが、
勉強し、仕事し、家事をこなし、弟と妹の面倒を見て、それからそれから、とやってるうちに自分ははやくから結婚までし、子供を三人産み、すぐにまた働きに出…

自分にかけた時間があまりに少ない。
そんな自覚と後悔がつよくあったそうだ。


わたしはそんな母親の後悔からか、随分と自由に育てられた。



そんな母親が、一泊した実家を出て、わたしがいってきますと告げると
「たまには連絡してね」と言った。
これはまた珍しいことを!と驚いて、すこし胸がきりきりと絞られるような思いだった。


ほんのすこし、ほんの一言、ちょっとした呟き。
なのにジワジワ広がっては、唐突に押し寄せてくる切なさに電車でホロリしそうになりながら、帰省を終えた。



その時からコトははじまっていたのかもしれない。

祖母がガンになったという。

先日、これまた年に一回あるかないかのレベルで珍しく姉から連絡があり、「おばあちゃんが明日、手術です」と言った。

あまりに突然だったそれを受け取ったのは外出先で、わたしはお茶を飲みながらのんびりとしていた。

メールを確認した途端、目が点だ。
かなり遅れたエイプリルフールかも、とすらおもった。もっともそんな冗談を話すような姉ではないのだが、それくらい、祖母は元気すぎる人だった。

しかし、立て続けに送られてくるメールには「ガンだったこと」「お母さんがそれをわざとあなたに話してないこと」が報告され、
病状的におばあちゃんの声が聞けるのは今後はなく、今日限りだと、迫られた。


怒涛のごとく教えられていく物事にわたしはもう考えることを放棄して、しばらくボーッとしていた。
なにが、なんだか、さっぱり。
今思えばその時間、関係ないことまで考えていたとおもう。


それから数分がたって、ようやく自分がどういう状況かを理解して、これは、もしかして、動かねば後悔するのでは、とおもった。
しかしすぐ動くのは現実的に無理だった。
本当は病院に駆けつけたいのに、遠すぎて時間がなかった。本当は電話をかけたいのに、祖母の電話番号を知らなかった。話せるのかもわからなかった。

それでも、姉から連絡がきたんだからと、もしかしたらお見舞いに行っている母親に通じるかもしれない。そんな思いで母親の連絡先をアドレス帳からだした。

ただひたすら携帯をいじってるだけの数秒で、涙がボロンボロンでた。
悲しい、怖い、そんな感情とはまた別の、処理しきれないものが溢れ出てしまって止まらなかったんだとおもう。
冷静さに欠けて、電話が通じてもまともに話せれたものではなかった。

じゃあ、じゃあと、一呼吸。
とりあえず、一旦泣き止もう、話はそれからだ、と携帯を置くと
今度は母親からメールがきた。

「心配すると思ったので、言えませんでした。おばあちゃんは、元気です」

母親は元気なのか。

もしかしたらお見舞いと仕事を両立させようと、バタバタ動き回っていたかもしれない
そもそも、いつからだ


ついには「無理して電話しなくても大丈夫。いつでもおばあちゃんとは筆談で話せれます」とまでメールがきた。

その日、結局一度もこちらから返信ができなかった。


心境が落ち着いたのはその3日後で、祖母の入院先と、だいたいの今後の予定を聞いて、すぐにまた帰省しますと連絡した。


母親は強い。
その所以はすべてが謎だ。



祖母は「手術してこんな元気な人もなかなかいない」と医者に言われるほど元気らしい。
母親の母親もまた強し。


人生のほとんどが「予期せぬこと」の繰り返しだとは思う。
頭ではそのことがじゅうぶんにわかっていても、実際に動くことの困難さは、計り知れないものだ。
しみじみおもった。身を以て、感じた。




祖母は書道について明るい。
綺麗な字を書く。小さな頃からその筆が憧れで、祖母にはよく習字に付き合わせていた。
これからは祖母との筆談を存分に味わおうとおもう。
とても、たのしみなこと。
まるで子どもの頃に戻るみたいね。


そら適度が一番です


怒涛のゴールデンウィークを終えて、こんにちは。え?いつの話かって、もう6月なのでした。でんぐり返しをしたら一気に景色が変わったような気分。
そんな、忙殺という言葉に相応しく、海を越え山を越え国境を越え、各地からやってきた人という人の波に観光地にて流され、今日に着したわけなんだけども。

それまでに何度か四連休をいただいたりしてました。しかし、まあ、なんつうか、寝るなり食べるなりしかなく。
久しぶりに熱海を経由し真鯵を片手に実家へと帰ったら父親がいそいそとグラスを出して、「何飲む?ハイボール?ワイン?」と晩酌仲間に手を差し伸べてくれ…。
のほほんとした実家でのちょっとした時間はすこしだけ夢心地だった。


それ以外のことでいえば、四連休中三連休は誰とも喋らず、家に引きこもってなにをするでもなくボケっと、よんどころない事情でもあるかのようにそれはもう、ボケっと、しとったのです。

長い放心状態のままに、なんかもう生きるの止め!みたいなかんじで。
そんでもいっちょまえにユーチューブで吉本新喜劇は見とってね、おもしろかった、やっぱり。
そらもう遺伝子レベルで染みついているツボなので、笑いたくば新喜劇って、完。笑うってすばらしい!


とりあえず、もうあの時の忙しさは夢のように忘れて、ひたすらにのんびりと過ごしています。
身体は怠ける一方で、あの忙しさ再びってもんなら、森へと逃げる思い。

しかし、その「忙しい」が最近お金になって、わたしを肥やしてくれているんだけれども。
頑張った甲斐があった、ってなんとも、お金を見て思わんのね。
ああなんか頑張ってたんだなそれなりに、ああそう。みたいな、振り返るようなもの。

高いも安いもなく本当、時間とか労力とか目に見えぬ諸々がお金になって形として握れてしまうっていうのは、おもしろいもんだって、ちょっと思ったんでした。


しかしこうして約一ヶ月間ブログを放置していたのは、空想にふけるとはなんぞや、と、あるひとつの記事に集中していたからである。
 
記事の内容をかいつまんで話すと、とにかく脳を知的な状態にするには空想が大事だということ。

それは、最近暇をつぶすにはスマートフォン、と言っても過言ではない世の中で、ボケーっとするのも大事なんだぞ!と人知れず警笛を鳴らしている記事だったのでした。

それを読んでからというもの、わたしは空想によって得られるものを意識して、
携帯を手放し、音楽を手放し、時計を手放し、
ほんの数分といえど1日に何度か、定期的に空想にふけるようにしてたんだけどもね、

なんとなくワクワクする時間が増えたんでした。
空想が終わっても気分が晴れやかなまま仕事ができたり、なんとなく、脳は完全に休まっていなかったから処理能力がおちていなかったり、
テキパキ動いている実感を抱きながら物事に打ち込めることが増えた。というのかね。

確かに、空想は大事だと確信。

わたしはツイッターもブログもやっているので、瞬発的になにかを発信することも、考えて考えてポーイと発信することも可能なんですが

ツイッターをやってるとボケーっとする時間が減ります。圧倒的に。
思ってることがすぐに言葉になって流れていく様はメリットがあれど、どこか空想の安売り大バーゲン感が否めず…
ツイッターによる創造力への弊害っつー言葉を以前見かけたんだけども、頷ける。ある程度の距離感ってやっぱりなんに対してもいるもんだと改めておもった。

たいして、ブログを書いてると構想しているうちにふわふわと思考があちらこちらへ漂いまして、
漂った結果この約一ヶ月間の空白。
何書こうか〜何書こうか〜と、していくうちに流れに流れ、さすがに空想に空想を重ね意見がまとまらないのもバカバカしく、そろそろ行動にうつすべし!となんとか苛立ちを呼び起こし、書き始めたのです。

その、ブランクのおかげかなんとも言えん手応えのなさが今ある。
空想しすぎるのもダメなのかもしれない。空想の中でぼんやりと求めていたクオリティをはるかに下回るこの現実の世界感よ!

ブログを書くのも、趣味とはいえ、積み重ね。続けることでなにかしらの特技になる。

そう信じて、ちょいと空想の用量を見つめ直す今日です。